誕生ヒストリー

あびら川誕生秘話

安平町新栄地区で50年以上に渡りお米作りを続けてきた米農家田村はある想いを抱いていた。「とびきり美味い酒を自分の米で作りたい!」日本酒が好きでこれまで数々の銘柄の日本酒を味わい尽くしてきた田村にとって、日本酒作りは自身の人生の集大成でもある。
そんなある日、新栄地区の田んぼに国の特別天然記念物に指定されているコウノトリが舞い降りた。続いて同じく特別天然記念物であるタンチョウのつがいがやってきた。この地域ではタンチョウは稀に見ることが出来るが、コウノトリは初めての飛来。

飛来したコウノトリ

タンチョウのつがい

田村は思った、「これはきっと自然の恵を含んだ美味しいお米が出来ている証だ。」と、であるならば「きっと今なら美味しい酒も作ることが出来るはず。」
そこで田村は近所の仲間である阿部と横澤の二名に声をかけた。自身の米作りに閉塞感を感じていた阿部は田村の誘いに、「酒米を作って売るというのも面白いかも。東京農大出身の横澤がいれば酒蔵で働く東京農大卒業生がたくさんいるはず、売り先には困らないだろう。」そんな思いで参加を決意。横澤と東京に向かい東京農大に行ってみようと話は盛り上がりをみせる。
ところが阿部はそれが間違いだったことに気付く、田村の考えは全く違ったのである。田村は「米ならもう50年も作ってきた。今度はその米で自分の飲む酒を造りたい。最後に自分の好きな酒を作って思う存分飲み尽くしたい。」最高の贅沢である。こうして「あびら地酒生産プロジェクト」が発足した。

右から田村、阿部、横澤

実は合併前の早来町時代に町には地酒を生産する酒蔵が存在した。その歴史は深い、1895年に新潟県人であった高橋久松が「高橋酒造所」を開業し、そこから早来の酒造りの歴史は始まった。それから幾度か形を変えながら1952年には「富士酒造合名会社」として銘酒「ときわ鶴」を造り続けた。残念ながら現在では酒蔵は廃業してしまったが、「あびら地酒生産プロジェクト」の代表となった田村は以前その酒蔵に招待され、「槽口(ふなくち)」を味わうことになる。槽口とは発酵を終えた醪(もろみ)を清酒と酒粕に分離する酒槽の口から流れ出るしぼったままの生原酒。そこでしか口にできない原酒、なんともこれが忘れられぬほどの美味であった。酒蔵が廃業し、この味を二度と口にすることが出来ないとの残念な想いが田村の酒造りへのもう一つの源でもあったのだ。

酒米は酒造好適米「彗星」をプロジェクトのメンバーが栽培。醸造は倶知安町にある大正5年創業の老舗「二世古酒造」に依頼した。二世古酒造は加水調整をしない原酒、水、空気、環境にこだわる羊蹄山麓の酒蔵である。田村の記憶に残るあの槽口をもう一度、そんな想いが二世古酒造の蔵元杜氏である水口氏に伝わったのか、できあがった初めての「あびら川」は横澤曰く、「衝撃的に美味かった。」寒さが残る3月に初の「あびら川」が届いたが、待ちに待った自分たちの酒、到着するや否や口を開け皆で味わった、阿部は言う「自然と冷えた状態で初めて口にしたあびら川は本当に別格の味だった。」本当は酒米を作って売るだけだと考えていた阿部はついに考えを改めるに至った。

こうして彼らにとっての最高の酒「あびら川」は誕生したのである。